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【書評】東国原英夫著『芸人学生、知事になる』ー 人はなぜ学ぶのか。人生と学問について考えさせられる一冊。

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読書
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生涯学習、リカレント教育に興味を持ちつつも、あと一歩が踏み出せない。

「今さら、勉強をして何になるの?」という周囲からの問いかけに答えられない。

そんな方におすすめなのがこちらの東国原英夫著『芸人学生、知事なる』です。

芸人学生、知事になる

東国原英夫 実業之日本社 2008年05月
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芸人のそのまんま東さんのタレント本かと思いきや、決してそうではありません。

98年の社会的なモラルを問われた事件を契機に、これまでの積み上げてきた芸人としてのキャリア、価値観を問い直し、学問への一歩を踏み出す過程が丁寧に語られています。

そしてパソコン教室での学びから、早稲田大学第二文学部での学び、早稲田大学政治経済学部在学中からの宮崎県知事選挙出馬までに至る思考の変遷がわかります。

芸人としてある一定のキャリアの築きながらも、なぜ学び直しが必要だったのか、その内面を掘り下げられています。社会人の学び直しの意義について考えさせられ、熱い気持ちがこみ上げる一冊です。

これはと思った箇所を3つ紹介します。

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40代という分岐点にどう向き合うか

 40歳を過ぎたころから、なんとなく、“自分の器”というものがみえてきたように思う。どれだけ頑張って働いても出世できるのはこれくらいだろうとか、生涯に稼げる金額はこのくらいだろうとか、そのほかにも思想的な器、家庭内での器、社会に対する接し方や行動範囲の器……、自分の人生についておおよそ見当がついてきたのだ。20代30代はまだ自分の可能性を信じていられるが、40代になると急に先がみえはじめ、自分の将来に夢を描くなんてことはできなくなる。

東国原英夫著『芸人学生、知事になる』p.45

40代で先が見えてきたときに、どう向き合うのか。前向きに捉えるか、後ろ向きに捉えるかで、40代は分岐点になると感じました。

僕は40代になって、自分の器がわかると同時に「残り時間」ということが気になりだした。あと何年、自分はこの世に生きていられるかという人生の残り時間だ。

東国原英夫著『芸人学生、知事になる』p.46

人生の残り時間という実感が湧いてくるのが40代。そうしたときに残りの人生で何をなすのか。

著者である東国原英夫さんは勉強(学問)とスポーツ(ランニング)であったと言います。

 江戸後期の儒学者、佐藤一斎の『言志晩録』に出てくる言葉だ。
少(わか)して学べば壮にして為すあり
壮にして学べば老いて衰えず
老いて学べば死して朽ちず

学問をすれば、そのあとの人生にどう役立つかを説いた至言だ。この中で40代の僕が肝に命じているのは、もちろん「壮にして学べば老いて衰えず」だ。壮年期に学問すれば老人になっても衰えることがない、というのは心強い限りではないか。学問だけでなく、スポーツなど肉体的なことにも当てはまるだろう。

東国原英夫著『芸人学生、知事になる』p.51

社会人で学び直しを考える方にとっては心強い言葉であると感じます。40代以降の人生のを見据えて、学問に取り組むという姿勢は生き方として前向きであり、そこで学んだことを社会に還元することで、より充実した生き方になると考えます。

 哲学や宗教は40代で取り組むべきテーマではないかと僕は考えている。それは人生の後半に備えて、世界や人生に対する自分なりの認識を深め、確固たる意思や確固たる信念をもつことにつながるからだ。学生時代に哲学書を読んだという人は多いが、死の問題も含めて抽象概念はある程度人生経験を積んでからのほうが、若いころより理解が深いようにも思うのだ。

東国原英夫著『芸人学生、知事になる』p.54

年をとったからこそ、学びが深くなるテーマがある。という事実も学び直しの意義と思います。死の問題とどう向き合うか。人生の後半では重要なテーマであると思います。このときに学問の知見をヒントにするということも、もっと一般的な考えになっていいように思います。

芸人学生の大学生活エピソードに学ぶ意欲が掻き立てられる

本書は何度か読み直ししているのですが、何度読んでも第3章の「芸人学生の大学生活」がおもしろいです。前向きに大学での学びに取り組まれていることがわかるエピソードの数々に心を動かされるのだと思います。

この章では早稲田大学の大学教授陣とのエピソードも紹介されています。
このエピソードもほっこりします。
情景が浮かぶ文章なんで、自分自身もそこに居合わせた気持ちになります。


 後期も終わりに近い12月のことだった。講義が終わると、先生は学生たちに向かって静かに話された。「私はあと2年で退官になります。僕の講義はつまらないかもしれないので、これまで出席はとりませんでした。それでも授業についてきてくれた皆さんに心から感謝します」
 1月になると試験前で、また学生がいっぱいになる。その前に僕たちにお礼をいいたかったのだとわかった。それから先生は10人ぐらいの学生たちをまわって、ひとりひとりに「ありがとう」と花を手渡された。僕は先生から花を受け取りながら、不思議な気持ちを味わっていた。本当はこっちが花を渡す側ではないのか。
 学生たちに花を渡し終えると、先生は教壇に立って、いきなり賛美歌を唄いはじめた。感動的だった。いつも大阪から急いで帰ってきてよかった、と僕はしみじみ思った。
 この先生は僕が3年生のときにお辞めになられた。僕は法律以外のこともたくさん学ばせてもらったと思う。成績はなぜかAではなくBだったが。

東国原英夫著『芸人学生、知事になる』pp.134-135

なぜ大学で学ぶのか。そこに魅力的な教授陣がいるからという回答は明快です。この点において、独学では得難い魅力が大学にはあると思います。

私も大学での指導教官との会話の中で印象的なものは、卒業して10年が経ちますが今でも鮮明に覚えています。

学びたいときに学ぶのが本来の姿

「いまさら勉強してどうするの?」
たまに聞かれることがある。僕は返事に窮する。いろいろ説明したいが、とてもひと口では言い表せない。そんなとき、こんな質問が当たり前に出てくるようでは、この社会はまだダメだなぁと思う。学ぶことの意義が理解されていない。人間、学ばないでどうするよ。まさに生涯学習、生涯スポーツの理念だ。

東国原英夫著『芸人学生、知事になる』pp.228

大学という場はもっと活用すべきであると感じます。人生迷ったとき、疑問に思うことが出たときに、気軽に大学という場所に立ち返って、その道の研究者の研究成果に触れる。

リカレント教育という言葉を本当の意味で身近なものにするためには、「人はなぜ学ぶのか」という問いを個々人が持ち、学ぶことの意義を理解する必要があると思います。

その選択肢の一つに大学という場所がある。もっと大学という場所と社会を自由に行き来する社会のほうが豊かであると感じます。

まとめ

私自身、社会人10年を経て、キャリアの一つの節目を迎えています。
そんな経緯もあり、今年は働きながら通信制大学で全く新しい分野での学び直しを決意した時期でした。ふと学生時代に読んだ本書を再び手に取り、読み直したくなりました。

本書を読んで、人はなぜ学ぶのかについて改めて考えました。そして、大変勇気づけられました。

人は何歳からでも学ぶことはできるし、その学びから新たな人生の選択肢が切り開かれていく。そして学問は人生を豊かにする。

これまで本書を何度か読み直しているのですが、何度読んでも勇気づけられる一冊です。

社会人の学び直しに興味がある方は読んでみてはいかがでしょうか。

芸人学生、知事になる

東国原英夫 実業之日本社 2008年05月
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