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『ブータン 山の教室』を観た感想(ネタバレあり)。圧倒的な景観美とブータンの伝統文化に触れることのできるヒューマンドラマ。

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映画
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第93回アカデミー賞国際長編映画賞ブータン代表作品『ブータン山の教室』(原題:Lunana A Yak in the Classroom)を広島 八丁座で観てきた。

ブータンといえば世界で最も幸福な国、というイメージがある。逆にいえばそれ以外のイメージがない。というよりもそもそもブータンという国を知らない。

そんな知られざるブータン映画ということで、とてもワクワクした気持ちで映画を観てきた。

監督はパオ・チョニン・ドルジ。『ブータン 山の教室』が長編映画デビュー作である。

広島 八丁座初回公演で観てきたので、初日来場者限定プレゼントの「ブータン産はちみつホワイトクローバー スティック1本」をもらった。

初日来場者限定プレゼント ブータン産はちみつホワイトクローバー スティック1本
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あらすじ

映画の舞台はブータン北部の村 ルナナ。世界で最も辺境の地にある学校である。
その場所は、標高4,800メートル。電気も携帯電話もない。

標高4,800メートルの地にあるブータン北部の村ルナナ。ブータン民謡が響きわたるこの村で暮らすのは、大自然とともにある日常に幸せを見つけ生きる大人たち。そして親の仕事の手伝いをしながらも、“学ぶこと”に純粋な好奇心を向ける子どもたちだ。人口わずか56人のルナナには、電気も携帯電話もない。『ブータン 山の教室』に登場するのは、実際にルナナで暮らす人々だ。ブータンの新鋭、パオ・チョニン・ドルジ監督は、人々の笑顔あふれる暮らしを圧倒的な映像美で映し出した。グローバル化が進み、世界の景色が単一化するいま、この作品は私たちに“本当の豊さとは何か”を教えてくれる。

ブータン山の教室公式HP:https://bhutanclassroom.com/

主人公はブータン王国の首都ティンプーで生活をする教師のウゲン。
教師という仕事にやりがいを見いだせず、オーストラリアに移住し、歌手としての大成を夢見ている。ある日、役所の長官に呼び出され、辺境の地ルナナへの派遣を命じられる。

現代のブータン。教師のウゲン(シェラップ・ドルジ)は、歌手になりオーストラリアに行くことを密かに夢見ている。だがある日、上司から呼び出され、標高4,800メートルの地に位置するルナナの学校に赴任するよう告げられる。一週間以上かけ、険しい山道を登り村に到着したウゲンは、電気も通っていない村で、現代的な暮らしから完全に切り離されたことを痛感する。学校には、黒板もなければノートもない。そんな状況でも、村の人々は新しい先生となる彼を温かく迎えてくれた。ある子どもは、「先生は未来に触れることができるから、将来は先生になることが夢」と口にする。すぐにでもルナナを離れ、街の空気に触れたいと考えていたウゲンだったが、キラキラと輝く子どもたちの瞳、そして荘厳な自然とともにたくましく生きる姿を見て、少しずつ自分のなかの“変化”を感じるようになる。

ブータン山の教室公式HP:https://bhutanclassroom.com/

首都ティンプーからウララまでは8日間の旅程だ。映画の半分はウララまでの旅である。
1日目はガサ県都市部に車で移動し、そこからは徒歩で7日間の旅程だ。

ウゲンが乗り合いバス(ワゴン車)でガサに到着したところにウララ村の村長が派遣したヤク飼いのミチェンが出迎える。ヤクとは北インドからチベットにかけて生息するウシ科の動物である。

ここからの旅が過酷だ。2日目は3人家族が経営する旅の宿に宿泊するが、3日目以降はテントでの寝泊まりである。基本的に登山である。しかも目的地は標高は4,800メートル。かなり本格的な登山だ。

しかし、旅の途中の景色が美しい。これだけでも映画のスクリーンで観る価値がある。映画館の大画面で観ているのでブータンを旅している気分になるのだ。

映画を観た感想(ネタバレあり)

この映画のテーマは深い。わかりやすいのは「教育の価値」という切り口だ。

ウララ村の村長は「ウララ村の子供たちへの教育機会を熱望している」。ウララ村での生活では学問は必要とされていない。しかし、子供たちが学問を身につけることで人生の選択肢が大きくひろがる。

そのため村長はウララ村への教師派遣を熱望し、「ひとりの人間の未来に触れることのできる職業である教師」に最大限の敬意を持って対応している。また村の子供たちも教育を受けることを心待ちにしている。

一方で、ティンプーから派遣された教師ウゲンは教育そのものへの熱意を失っており、過酷なウララでの生活にも適応できる自信を持っていない。そのため到着初日で帰任したい意向を村長に率直に伝える。

この両者のドラマがこの映画の見どころのひとつである。

ウゲンがウララ村到着して数日後、帰路の旅路の準備が整い、ウゲンがカザに帰ることができるという話を持ち出すときの村長のなんとも言えない表情。
この感情表現にすべての想いが込められている。ことばとして発せられなくても、強く伝わるものがあるのだ。

もうひとつの切り口は「伝統を守りながら生きる人々が持つ文化」である。

ブータン山の教室公式HPの紹介される監督インタビューでもこの点に触れられている。

この映画を撮ろうと考えたきっかけを教えてください。
世界の景色がどんどん単一化されていくなかで、ブータンは独自の文化や伝統を頑なに守ってきました。インターネットとテレビが解禁されたのは、1999年。世界のなかでもかなり遅い方ですが、これは外から影響を受けることで、我々の文化が変わってしまうのではないか、という危惧があったからなのだと考えられます。実際、ブータンが少しずつ外の世界を受け入れていくようになると、必死に世界に追いつこうとするあまり、独自性が失われつつあるのではないかと、肌で感じるようになりました。
本作は、ブータンのさまざまな話を継承したいという想いから生まれました。この映画のストーリーのあらゆる要素は、私がブータン中を旅したときに聞いたエピソードや、出会った人々がベースになっています。そこにこそ、ブータンという国の本当の“価値”が宿っているのではないかと私は考えたのです。私は、これからを生きる世代がブータンの独自性を忘れないでほしい、という思いを込めてこの作品をつくりました。

ブータン山の教室公式HP:https://bhutanclassroom.com/

ヤク飼いの歌が映画の象徴的な場面で歌われている。
伝統歌の歌詞には映画を通して伝えたいメッセージが込められている。

「ヤクに捧げる歌」が強く印象に残ります。なぜこの歌を映画の重要なシーンに使ったのでしょうか。
この歌は、ブータンで広く知られている伝統歌です。歌詞自体はとてもシンプルですが、ブータン人の生活、人生、そのすべてが詰まっています。農家として、ヤク飼いとして生きる日常だけでなく、すべてのブータン人の生活の基盤である、「仏教とは何か」についても触れています。この歌は、高地で暮らすヤク飼いの歌です。人生について多くのことを教えてくれると同時に、私たちが暮らす自然と大地への感謝も歌われています。さらに、仏教がいかなるものなのかも伝えています。輪廻転生などについても触れられているんです。
私がこの歌を選んだのは、私たちが学ぶべき素晴らしい教訓は思いがけない場所から届く、ということを思い出してほしい、と考えたからです。ヤク飼いが歌う山の歌に、人生の教訓があるとはなかなか思わないでしょうからね。

ブータン山の教室公式HP:https://bhutanclassroom.com/

ウララ村の生活は首都ティンプーのようにはいかない。
教師ウゲンに用意されたウゲンの家にはソーラー発電でわずかに電気はあるが、故障している。
トイレは水洗ではなく、地面に穴を掘った原始的なものである。また、紙はウララ村では貴重であるため火を起こすには乾燥したヤクの糞を使う。

ヤクはただの家畜として扱われておらず、とても大事にされている。ウララ村の人々はヤクは欠かすことのできない存在であり、ヤクによって多くのものを与えられていると考えている。

ウララ村の人は全員、ヤク飼いの歌をうたうことができる。歌があることで人生は豊かになり、歌を通して人生において大事なことが後世に語り伝わっていく。

ヤク飼いの歌はこの映画の大事なテーマのひとつである。

ウララ村の村長がウジンが村を去るときにうたったヤク飼いの歌に込められた意味。
オーストラリアで歌手として大成することを望むウジンが、映画のラストシーンではオーストラリアの地でヤク飼いの歌をうたうシーンで終わるシーンが印象的である。

まとめ(85点/100点)

この映画は劇場で見ることをおすすめする。圧倒的な自然美は映画館のスクリーンでみたほうが没入感が増すため映画+ブータン旅行を楽しめるからだ。

映画の満足度は85点(星4つ)。とてもいい映画だった。ブータンというところがなおよし。

上映するシアターは限られているが公式HPに上映映画館一覧が載っている。

ブータン 山の教室公式HP: https://bhutanclassroom.com/

映画のポスターにもなっているペム・ザムは大変可愛らしい笑顔が印象的な女の子である。
前向きで聡明なクラス委員である一方で、家庭は崩壊しており父親は一日中、仕事をせず、飲んだくれている。

実際にウララ村に住む9歳の少女(撮影当時)だが、演じる役同様に家庭は崩壊しており祖母と暮らしているということを公式HPで知り、なんとも言えない気持ちになった。

ウジンとペム・ザムを始めとする生徒達との心の交流。生徒たちが学ぶための紙がなくなったために、壊れた窓の冷風対策に使っている紙を生徒たちにたまたまあったと言って渡すウジン。ウララ村を去るウジンに生徒たちが渡した手紙。

学ぶ機会が当たり前に与えられていることの有り難みを感じる映画でもあった。

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